2026年7月17日、金曜日。
その日は母の誕生日でした。
夜、母から一本の電話がありました。
「お父さんが倒れた。息をしてない。たぶん、もう無理。」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。
5月には父が関東まで孫に会いに来て、一緒に笑っていました。
それが最後になるなんて、誰が想像できたでしょうか。
私はすぐに妻と息子を乗せ、車で実家へ向かいました。
約12時間。
眠ることなく、夜通し車を走らせました。
「もしかしたら間に合うかもしれない。」
そんな思いだけでアクセルを踏み続けました。
到着したのは葬儀場。
そこには静かに眠る父がいました。
まるで眠っているような穏やかな顔でした。
急死だったため、おそらく苦しまずに旅立てたのではないかと聞きました。
それだけが、家族にとって唯一の救いでした。
そのまま通夜、そして告別式。
祖父や祖母より先に父を見送ることになるなんて、思ってもいませんでした。
67歳。
あまりにも早すぎる別れでした。
葬儀は家族で行いましたが、葬儀後には、定年後に父がお世話になっていた派遣会社や派遣先の方々も来てくださいました。
そこで初めて、家族が知らなかった父の姿を知りました。
「誰にでも気さくに話しかける明るい人でした。」
「仕事は本当に真面目でした。」
「休憩も取らずに働くことがあるくらい責任感が強かったです。」
「困っている人がいると放っておけず、いつも世話を焼いてくれました。」
高校卒業後に上京した私は、実家へ帰るのは年に数回。
父が職場でどんな人だったのか、知る機会はほとんどありませんでした。
父は、職場でも多くの人に慕われていたんだと知りました。
葬儀を終え、一度関東へ戻り、翌週には再び実家へ。
相続や銀行、年金、法務局、名義変更など、多くの手続きを進めました。
その中で感じたのは、父がたくさんのものを残してくれていたということです。
67歳でしたが、NISAで資産形成もしていました。
私の知らない保険の積み立てもありました。
一方で、行政の手続きは想像以上に複雑で、悲しむ間もなく次から次へと手続きを進めなければなりませんでした。
制度だから仕方ないとは思いつつも、遺族に寄り添っているとは感じにくく、精神的にも大きな負担でした。
父は孫を本当にかわいがってくれました。
5月に会いに来てくれた日が、最後になるなんて思ってもいませんでした。
もっと孫の成長を見たかったはずです。
もっと一緒に遊びたかったはずです。
そう思うと、今でも胸が苦しくなります。
私自身も、親孝行らしい親孝行はほとんどできませんでした。
「また帰ればいい。」
「また会える。」
そう思っていた”また今度”は、突然なくなってしまいました。
まだ気持ちの整理はできていません。
それでも、父が残してくれた想いを胸に、前を向いて生きていこうと思います。
そして私も、父のように家族を大切にし、息子が大人になった時に「いい父親だった」と思ってもらえるような人生を歩んでいきたいです。
もしこの記事を読んでいる方のご両親が元気なら、今日、一本だけでも電話をしてみてください。
その何気ない時間が、かけがえのない思い出になるかもしれません。
父が残してくれたものを胸に、これからも家族と一緒に前を向いて歩いていきます。


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